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豚は沖縄の宝、畜産の未来は・・・
2010年5月号(Vol.41)

沖縄における豚の歴史とその文化は、この島そのものの象徴

中国から豚が持ち込まれたのは15世紀初め頃との説もあるが、1477年のある書物には沖縄での豚の飼育についての記述がみられる。

 近年、伊江島にある弥生後期の貝塚、具志原貝塚で豚の骨が発見されたが、これは、14世紀以前から沖縄では豚が飼育されていたということであり、沖縄と豚の付き合いは2000年近いことになる。

 「沖縄の人は豚を鳴き声以外はみんな食べてしまう」と言われているが、その通りである。それは豚を食する歴史の長さにある。

 日本本土で豚を食べ始めたのは、明治維新の頃、坂本竜馬たちが食べ始めたとされているが、わずか百数十年の歴史しかない。

 西暦675年に天武天皇が僧侶の肉食禁止令を出して以来、宗教的な意味で四つ足の動物の肉を食べないようにという制約があって、江戸時代末期まで豚を食べる習慣はなかった。

本土で肉を食べる習慣がまだほとんどなかった時代から、沖縄では豚が食べられていたことがわかる。

 ちなみに、飼育が本格的になったのは中国からの冊封使をもてなすためで、1605年に中国からイモが入ってきたのをきっかけに、さらに沖縄の広い範囲で豚の飼育が始まった。

イモによって、食糧が確保され、イモの皮など人の食べ残しを豚のエサにすることができるようになったからだと言われている。  豚を潰すのは正月の祝いの席と限られていたが、それでも豚の脂とたんぱく質のおかげで元気に働くことができた。

 戦後、食糧難にあった沖縄の危機を救うために、ハワイに住む沖縄県出身者が募金を募り、550頭の豚を船で送ったという実話がある。

 戦前の沖縄には10万頭以上いたアグーと呼ばれる黒豚も戦争で激減していたが、これを機に、白豚が主流になり、沖縄の養豚が大変革を遂げた。 豚との関わりは沖縄において特別なものなのである。

 

 

家族・子供・孫の代まで 安心して食べられる 行き届いた豚を育てたい


名護のオリオンビール工場前を通り、名護の山々に向かって車を走らせると、わずか数分でやんばるの深い山間にさしかかる。うりずんの頃になったら緑がもっと美しくなるのだろうとその豊かな自然に感動しながらさらに奥へ奥へと進むと、小さな集落がある。ここが名護市大川。沖縄を代表する養豚業を営む「我那覇畜産」がある場所だ。

 なんて空気のきれいなところだろうか。近くを流れる川の水のまた澄んだこと。さっと網を入れたらたくさんのえびが獲れそうだ。子供たちが追いかけっこに興じてあげる大きな笑い声が心地いい。こんな自然環境の中で育っていけるなんてどんなに羨ましいことか。人間だって羨望の環境なのに、そんな場所で我那覇畜産の豚たちは育てられている。

 社長の我那覇明さんは  「家族はもちろん、子供や孫たちが安心して食べられる豚を作りたいんです」。畜産に限らず、トレーサビリティ(商品の流通経路を生産段階から最終消費段階まで追跡が可能な状態のこと)が声高になって久しいが、それでもまだまだクリアになっていないものが数知れず。消費者のことを自分の大切な家族と同等の思いで作りあげていくのは傍が思うほど容易いことではない。

 

やんばる島豚 琉美豚(山原豚) やんばるあぐー


現在、我那覇畜産が手掛けている豚は、「やんばる島豚」「琉美豚(山原豚)」「やんばるあぐー」の3銘柄豚だ。  プリマートと聞くと随分なつかしく思う読者も多いと思うが、そのプリマート時代すでに「琉美豚」という名前を付けて豚肉を販売していたのが、我那覇畜産。

沖縄ブランド豚の先駆けといっても過言ではあるまい(ちなみに、プリマートは沖縄におけるスーパーマーケットのパイオニア。

現在は琉球ジャスコと合併してマックスバリューと呼び名が変わっている)。  やんばる島豚や琉美豚は、ジャスコ系列の店舗に行くと並んでいる、消費者にはおなじみの豚だ。そんなやんばる島豚が誕生したのは8年程前。沖縄在来種のアグーを守ろうという声があがり、その保存会ができたのをきっかけにアグーの血を引くやんばる島豚が生まれたのだった。

思いは「保存をしながら量産もできるように」。  研究の結果、アグーに西洋種のデュロックやバークシャーを掛け合わせて固定した。

 アグー本来が持つ旨みとサシの入り具合、赤身のきめ細かさが極上の高級品だ。ちなみに琉美豚はクセのないソフトな味の肉が特徴で、アクもドリップも豚独特の臭みも少ない。豚肉にしては上品極まりないおいしさが魅力である。

そして島黒はアグーの血を引き継ぐ我那覇畜産期待の新銘柄豚。出荷数を少しずつ増やしているところだという。

 

やんばるの大自然の中で おいしい水と 贅沢な飼料 そして愛情を掛けて


これら3種類の豚がおいしいと評判な理由をあれこれ探ってみた。  まず、第1に環境とストレス。これは農場に案内されて驚いた。深いやんばるに抱かれた名護市大川の集落の中に事務所があるのだが、そこですら深呼吸したくなるほど心地よい場所なのに、農場はさらに山奥にもあるといわれ、行ってみてびっくり。町中の農場と違って車の音や排気ガスなど人的ストレスは全くのフリー。のびのびと毎日を過ごすことのできる環境である。

 そして第2にエサ。麦を主体に天然カルシウムの与那国島産化石サンゴ・ヨモギ・ニンニク・海藻・糖蜜にアガリクス。今年の春からはご近所のビール工場からのビール酵母も加わるそうだ。

豚に限らず食用肉はエサが命なのはもっともなことだが、これだけの配合は贅沢この上ない。

しかも、水は名護のおいしい水をたっぷり。通常に比べてどれだけコストがかかっているのだろうと心配になるくらいだ。

 

 そして、第3は我那覇社長を筆頭とする従業員の豚への愛情。以前「従業員が気持ちよく働ける環境が大切。穏やかな心で愛情をもって管理すればよい豚が育つ」と社長がコメントしていたが、まさにそのとおり。農場には約800頭近くの母豚と約9200頭の子豚がいるのだが、これらを農場長の兼次邦浩さんを筆頭に4人の従業員が深い愛情を注いで育てているのだ。当然のことながら、豚も人と同じ生きもの。商品であってもモノではないという愛情が、彼らの接し方から感じられた。

撮影の時に子豚を抱っこしていただけますか?とのリクエストに、どうしてこんなにも従業員の彼らが笑顔いっぱいになるのか、こちらの心も温まるほどだった。

 

 

コストがかかっても ないがしろにしては いけないことがある

 

我那覇社長はこう考える。養豚を営む時に忘れてはならないのは周りへの配慮。ただ美味しい豚を育てればそれで万事いいという訳ではない。

従業員と豚の環境を考えるのであれば、もうひとつ大事な地域の環境も考えなければいけないと断言する。町中の農場であればなおのこと配慮し なければ養豚の未来がなくなる危惧しているのだ。  「地域に還元して理解を得ることで地産地消にもつながる」。  養豚ともなればやはり気になるのは臭いと病原菌だ。

でも、我那覇畜産では10年ほど前、話題になり始めた早々からEMを取り入れ活用している。コストはかかるが、これのおかげで衛生管理は見ちがえた。

豚舎にはオガコを敷き詰めたり、排泄物はスクリーンコンベアー(固液分離装置)で分離。

汚水は自社で汚水処理施設を作り浄化しているのだが、その水でナント!鯉を飼っているのだ。

水草も青々と育っていた。汚物はまた、自社の工場で堆肥化して販売したり、市内の学校へ贈ったり。

無駄のない循環型養豚業の理想の形といえるだろう。

 

 

 

我那覇畜産が考える 養豚の姿には 沖縄の畜産の未来がある


我那覇明社長は物心がついた時から豚と共にいた。先代が養豚を営んでいたし、フール(トイレ兼用の豚小屋)が子供の頃にはまだあったからだ。  小学生の高学年になると、豚にエサとしてあげる残飯を運ぶ手伝いをした。米軍の残飯を一斗缶に入れ、辺野古の集落からバスに乗せ、さらに大浦から自転車に乗せて大川まで運んだ。山をいくつか越えなければならない距離は相当なもの。

我那覇社長の目はとてもなつかしそうだった。

 その後、結婚して奥様と二人三脚で豚に携わってきた。屠殺もしたから豚の内臓のことも肉質のこともその手で感じて目で見てきた。スーパーに直接卸しにも行ったから、お客さんのこともよくわかった。農業もやったから、養豚と農業と人と地球のつながりも実感した。

単なる豚の生産農家とは視点もその方向性も、見極めも違うことを自負している。そして、それらすべてが今に生かされているのだ。

 沖縄の養豚業の未来を見据えたとき、我那覇社長は今のままでは気掛かりなことがいろいろあるという。安心・安全はもちろんのこと、もっと勉強・研究をして全体の底上げをしなければいけないと断言する。

昔ならがらのやり方にはいいところもあるが、改善しなければならないところもたくさんあるからだ。  「沖縄にきた観光客が、豚がおいしくないといわれたら最後だからね」。

 

支援金付き豚肉の販売 MESHサポート支援で 社会貢献


我那覇社長が取り組んでいることのひとつに、北部地域での救急ヘリ運航のためのMESHサポートがある。ジャスコ、マックスバリュー、ザ・ビッグの店舗で『MESHサポートを応援します』のシールが貼られた我那覇畜産のやんばる島豚や琉美豚を購入すると、1パックにつき2円(ジャスコと我那覇畜産が1円づつ)が支援金に充てられるというものだ。

開始して1年になる今年の5月までに125万パック、つまり250万円の寄付を目標にしている。  そもそもは40年程前、名護市嘉陽の山中で交通事故にあった男性が、救急の要請が間にあわず命を落とす現場に居合 わせたことが、今回のサポートのきっかけになったそうだ。

救急ヘリが整備されていたら助かったはずなのにと当時を振り返った。

 おいしい豚肉をみんなにおいしく食べてもらう他に、まだ、こんな社会還元の仕方があるのかとその幅広さ、発想の柔軟さに驚かされる。

 未来型の畜産業。もしかすると、また次の新しい展開を我那覇社長は考えているのかもしれない。

 

Tags: インタビュー

 

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