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家族ぐるみで営む創業四十余年のそば屋
2010年3月号(Vol.40)

家族ぐるみで営む創業四十余年のそば屋
我部祖河食堂 金城 源治さん・文子さん夫妻

 

ソーキそばが誕生したきっかけ

 県内に10店舗を構える「我部祖河食堂」。その創業者である金城夫妻は、80歳を超えた今でも地元・名護の我部祖河で現役で働いている。
我部祖河食堂 金城 源治さん・文子さん夫妻 

  ご主人の源治さん(80歳)と奥様の文子さん(82歳)はともに同じ我部祖河の出身。出会いは村の豊年祭だった。
「当時はこの辺りは田んぼだらけでしたよ。そこを人力で埋め立てたんです。当時は重機なんてなかったですからね」(源治さん)
食糧会社を辞め、自ら商売を興そうとしていた源治さんが、退職金でまず最初に買ったのが自動車だったという。
「この辺りでは自動車を持っているのが私一人でしたから、車を使っていろいろやりましたよ。小学校の給食の材料を運んだり、病気の人が出れば病院に連れていったり」(源治さん)
「それで周りの人も慕ってくれたんでしょうね。お店を出したら多くの地元の方が来てくださいました」(文子さん)
最初に出したお店では、精肉や鮮魚を売っていた。
「そこで余った肉を煮付けてお客さんに出したら評判だったんです。それをそばに乗せたのがソーキそばの始まりなんです」(源治さん)
当時、沖縄そばといえばさっぱりしたものが主流で肉もぜいたく品だった。そんな人たちに少しでもお肉を食べてお腹いっぱいになってもらいたい…その思いで誕生したのがソーキそばだった。四十年も前のことである。

 

 

20ドルからのスタート

  沖縄がまだまだ貧しい時代、田んぼを埋め立てた土地に、掘っ立て小屋を建てて始めた店。周囲には、「こんな田舎で店を開いてもお客さんが来るわけない」と言う人もいたという。サラリーマンだった源治さんに銀行もお金を貸してくれなかった。しかしそこで助けてくれたのが地元の友人・知人たちだった。
「模合で取った20ドルから始めたんです。当時はそばが一杯25セント、日雇いの一日の給料が1ドルという時代ですから、一ヶ月の給料にも満たないくらいの金額からのスタートでした。とにかくがむしゃらにやりました。年中無休で頑張りました。でも地元の人たちも応援してくれて、たくさんの人が来てくれました。部落の集会所のようになっていましたよ(笑)」(源治さん)
「長女と次女は学校から帰ってきてすぐエプロン着けさせられてましたよ。当時はうらまれたかも知れませんね(苦笑)」(文子さん)
ぬちまーすハウス内しかしそんなお二人の姿は、四人の子供たちにとっても大きな存在に思えたに違いない。成長してそれぞれが独立し、本土で仕事をしていた子供たちも沖縄へ戻り、稼業を継いだ。今ではその子供たちが経営を任され、孫たちが製麺所を見るなど家族ぐるみの会社となっている。

「最初は私たちの代で終わっても仕方がないと思っていました。でも子供たちが頑張ってくれているので、とても頼もしく、嬉しく思っています」(文子さん)

子供たちに会社を任せ、お二人は引退したかと思いきや、源治さんは畑仕事を、文子さんは毎朝五時に起きて寿司を作るなど、まだまだ現役だ。

「動いてないとダメなんですよ(笑)」(源治さん)

とにかく働き者のお二人だというのがよく分かる。

 

 

 

とにかくお客様に喜ばれることを

 前述の製麺所は十数年前に開業。当初はほかの製麺所から買っていたが、自社で作るようになりさらに味に自信が出た。源治さんが作る無農薬野菜は、それぞれの店舗に納入される。

 

 「とにかくお客様に喜んでもらいたいというのがここまでやれてこれた理由。素材や味にもこだわって、おいしいものを提供したい」(源治さん)

 

 「主人は負けず嫌いなんです。ちょっと言うことを聞かないところもあります(笑)。でもそこが良いところ」(文子さん)

 

 常に前へ進んでいくご主人を、時にはたずなを締めながら奥様がサポートする。姉さん女房ならではのコンビネーションだ。

 

 ところで、我部祖河食堂という名前だが、当時の部落の区長さんが命名したのだという。

 

 「読みづらい地名ですよね。

 

それを店の名前にしたら、みんなが覚えてくれるんじゃないかという話だったんです。お陰で今では多くの人に我部祖河という地名を知ってもらえるようになりました。地元のみなさんが感謝してくれて、公民館のパーティでは乾杯の音頭を取らせてもらいましたよ(笑)」(源治さん)

 

 働き者でユーモアもあるお二人。結婚六十年を過ぎてもとても仲が良い。最後にお互いに言葉を贈り合っていただいた。

 

 「健康第一で余生を送りたい。健康管理など気を使ってくれて感謝しています」(源治さん)

 

 「仕事もほどほどに、これからも元気によろしくお願いします」(文子さん)

 

 仕事だけでなく、それぞれ自分の趣味も楽しんでいると言う。それも二人とも八十代とは思えないほどの若さの秘訣なのだろう。


 

Tags: 夫唱婦随

 

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